70years
in this place.
Trust built
with trees.
Initiatives for tradition
and innovation
Initiatives for tradition and innovation
当社は、先代である父 矢野勝三が昭和37年に創業し、平成 21
年に矢野木材株式会社を設立して以来、一般建築・土木工事で用いられる小径木製材の製材加工をメインとして事業を営んできました。
当社が所在する岡山県真庭市は、中南部を中心に農林業が盛んで、とりわけ良質なスギ・ヒノキを産出する林業は、古くからこの地域の雇用を支えてきました。
現在でも多くの伐採事業者や木材加工会社、市場などが操業しており、真庭市の象徴である木質バイオマス産業の中心地になっています。当社では、製材プロセスで生じる端材等を有効活用し、製紙やバイオマス発電で利用可能なチップ生産にも取り組んでいます。
先代は、真庭木材事業協同組合の設立メンバーでもあり、長きにわたって地域における木材関連事業振興に尽力してきましたが、平成 31
年月に急逝。現代表である矢野広暁・光子が事業承継をすることとなりました。
Our thoughts
日本という国、そこで暮らす人々は、 とかく輸出入というカテゴリーが最大の経済、 そして損益を導き出す分野であり続ける中、 内需を疎かに陥りがちになりその時々の時代において 戦争や自然災害そして公害等の大きな艱難に直面しては、 正しい方向へと舵を切り直してきた民族であると思います。 私たち現代の木材業界も然りです。 戦時中、莫大に消費された木材資源。 戦後復興へ向けた大植林、しかし木の成長には数十年という時間を要します。 経済回復に伴う建築用材としての木材需要が大きく始まりましたが、 やはり資源、資材不足により輸入材に重きを置く結果となり、 国産材のピークは終わりを迎え材価は低迷の一途、国内製材業は廃業が続き、林業も衰退し放置山林が増えて行きました。 戦後の大規模な植林とは人工林であって、天然林ではありませんから人による手入れを必要とします。 天然林は数百年規模の、自然淘汰により形成されたものです。 その結果が現代の杉花粉の大量飛散による花粉症もそうですし、 緑の砂漠化によって山の保水力の低下に伴う土砂崩れ河川氾濫の災害 イノシシ、鹿等による農地の被害に及びました。 その最中、東北大震災による原子力発電の見直しによる代替エネルギーのひとつとして木質バイオマス発電がスタートしました 。 また一方では、国策としてのSDGsが唱えられ、国産材の利活用の方針も始まりました。 これからは国内の山林資源、木材活用の時代になります。 私ども矢野木材株式会社は、 この圏域の小さくとも欠かす事のできない歯車であり続けられるよう、 臨機応変に対応し、社会貢献を続けていきます。
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神戸銀行から軍事徴用で行員を従え、日本精密の工場を任されるかたちで久世へ
まもなく終戦を迎えたため、当地にて事業を模索